就職氷河期

就職氷河期(しゅうしょくひょうがき)とは、社会的に就職難となった時期の通称。狭義では新卒者の就職難を指すが、転職者も同様に就職難となった。

日本

日本では、バブル崩壊後の就職が困難であった時期を差す語。就職雑誌『就職ジャーナル』が1992年11月号で提唱した造語。1994年の第11回新語・流行語大賞で審査員特選造語賞を受賞した。
経過

1990年1月より株価の暴落が始まり、その後、地価やゴルフ会員権価格等も暴落し、「バブル崩壊」と呼ばれた。翌1991年2月を境に景気が後退する中で、バブル期の大規模な投資によって生じた「3つの過剰」(設備、雇用、債務)が企業業績にとって大きな足かせとなり、これらの中でも特に過剰な雇用による人件費を圧縮する為に、企業は軒並み新規採用の抑制を始めた。これによって、1993年から2005年に就職する新卒者が、困難な就職活動を強いられ、フリーターや派遣労働といった社会保険の無い非正規雇用プレカリアート)に泣き寝入りする者が多数現れた。

1994年入社予定者(高卒だと1975年生まれ、大卒だと1971年生まれ)の就職活動は、それまでの就職活動と明確に異なる対応を強いられた学生側の混乱もあり、「オイルショック以来の就職難」と言われた。1930年代の「大学は出たけれど」と同義語である「学歴難民」が徐々に増えて来たのもこの時期である。又、1992年から1993年にかけては、企業の急速な業績悪化で、学生が内定を取り消される事例が相次ぎ、問題になった。

1993年を底とする景気の回復で、1997年新卒の就職状況は多少持ち直したものの、1997年下旬から1998年にかけての大手金融機関の破綻(→アジア通貨危機)などで景気が急速に悪化した為に、1999年以後の新規採用は大幅に削減された。1999年以後の就職難を、それ以前のものと区別する意味で「超就職氷河期」と呼ぶこともある。[要出典]

この時期は、求人数の大幅削減の外に、企業の業績悪化や新興国との競争激化によって新卒を育てる余裕が失くなり、現場に即投入できる「即戦力」を新卒に求める風潮が現れた。これにより、雇用のミスマッチ(→転職#需給のミスマッチ)が多数発生し、単純に求人数が増えても失業率が下がり難くなり、本人の能力とかけ離れた職場に渋々入って短期間で解雇に追い込まれる者が増大した。又、大卒者の就職についても、1996年に就職協定が廃止されて以後は、企業が優秀な大学生を囲い込むべく採用活動を年々早めており、こうした環境の変化により多くの大学生に混乱を与えることとなった。

折しも1991年の総量規制によるバブル崩壊と期を同じくして、世界情勢は1991年12月のソ連崩壊による冷戦の終結という歴史の転換点を迎え、経済面でも、旧共産圏が市場経済化するなどきわめて大きな変化がいくつも生じた。 グローバリゼーションが進み、労働力の供給源が日本その他の先進工業国から、中国を初めとする新興諸国(BRICs)へと大量に移動していったこともそのひとつである。

プラザ合意からの円高で、バブル崩壊以前からすでに日本における労働力のコストは高騰していたが、日本企業はバブル景気による収益で高コスト体質による不利をカバーできていたため、旧来的な雇用形態を変えておらず、それゆえ高価な労働力を過剰に抱えていた。 それがバブル崩壊を境にいよいよ維持できなくなったことで、リストラによる余剰人員の削減と、雇用柔軟性の導入が必要となった。

この動きの一環として、1999年には、小渕恵三政権によって派遣労働が製造業を除いて原則自由化され、企業が人員を削減する程法人税を減免する「産業再生法」が制定された。この「産業再生法」の背景が、1995年に日経連(当時)が発表した「新時代の『日本的経営』」だとの意見がある。この「新時代の『日本的経営』」では、労働者を「長期蓄積能力活用型グループ」「高度専門能力活用型グループ」「雇用柔軟型グループ」に分けており、派遣労働者やフリーターは「雇用柔軟型グループ」に当たる。

「新時代の『日本的経営』」を支えたとみられる政治思想として、小沢一郎の「普通の国」、小泉純一郎の「聖域なき構造改革」が挙げられる。これらの路線は、とくに左翼系論者から「アメリカ型社会の模倣」「『僅な強者が主導権を握り、大多数の弱者が貧困と死に怯える階層社会』となる[1]」などと批判されることがある。2004年3月1日には、小泉純一郎政権によって製造業への派遣労働が解禁され、派遣労働者は爆発的に増大した。但し、労働者派遣法の改正審議の当時、偽装請負が社会問題化の兆しを見せていた。派遣労働者激増の背景には、偽装請負業者が一般派遣へ流れ、それまで派遣労働者としてカウントされていなかった分の増加が相当の割合で寄与しているという面もある。

ところが、2000年代半ばの輸出産業の好転や、2007年問題として話題となった団塊世代の定年退職の影響に伴う求人数の増加により、雇用環境は劇的に好転し、2005年には就職氷河期は一旦終結した。新卒者の求人倍率は上昇し、2006年には一転、売り手市場と呼ばれるようになった。12年以上に亘る採用抑制の影響により、多くの企業で人手不足となり、企業はそれまでの態度を覆し、挙って新卒の大量採用に走った。金融関係は特に大量の人員確保に走り、三大メガバンクの採用者数を合わせると、その数は数千人にも及んでいる。

一方で、既卒者の雇用環境は厳しいままであり、世代間による雇用機会の不均衡を指摘する声が強まった。日本の労働市場における採用慣行は新卒一括採用と年功序列に偏重しているため、既卒者(第二新卒など)の就職が著しく不利になっているから、卒業後すでに相当の年数が経った氷河期世代の求職者、とくにそれまで正規雇用されたことがない者は、極めて不利な条件下に追い込まれている。団塊世代の退職による労働力減少への対応についても、大多数の企業は新卒者ないしは賃金の安い外国人労働者、定年退職者の再雇用によって補う傾向が大きく、氷河期世代の救済には至らないという見方が多い。これは氷河期世代を「『社会保険も無い、使い捨ての労働力』のまま長く使いたい」企業の思惑が大きな要因だと言われている。

数年間続いた「売り手市場」であったが、2008年にサブプライムローン問題を発端とする世界的な景気悪化が本格化し、雇用情勢は再び氷河期の情勢を呈している。
影響

多くの企業が12年以上に亘って新卒者の採用を控えたため、多くの企業で従業員の年齢構成が歪み、技術・技能の伝承が困難になっているという指摘がある。又、雇用の抑制は社内の人手不足を招き、労働環境が苛酷になる企業が増加した。特に2007年から順次退職する団塊世代の抜ける穴を埋めるべく、企業は2000年代半ばより新卒の採用を大幅に増やしている。
採用状況
新規採用
高卒

高卒者[2]の雇用環境は、この時期に大きく悪化した。2005年3月高校・中学新卒者の就職内定状況等によれば、求人数は1992年の約34万人をピークに、2003年には約3万人にまで激減した[3]。要因としては幾つか言われており、例えば大手企業が大卒者等の高学歴化へのシフトなどが指摘されている。[4]
大卒

大卒者の雇用環境も、この時期に厳しく悪化した。リクルートワークスの調査によれば、1991年をピークに求人倍率は低下傾向で推移し、2000年には1倍を下回った。多少の変動はあるものの、2002年を谷とする景気の回復に伴い求人数が増加するまで、長期間に亘って雇用環境は厳しい状況となった。

就職率も惨憺たる状況であった。学校基本調査によれば、1991年の81.3%をピークに低下を続け、2003年には史上最低の55.1%となり、2003年卒業者(専門学校の就職率は76%)は氷河期世代の中でも最も悲惨を極めた時期となった。また、この1990年代以降には、幸運にも新卒で正社員の地位にありつけたとしても、「難関国大の法学部を出てトラック運転手になる」などと揶揄されたような、本人の志望や能力とはかけ離れた道しか選ぶ事ができなかった者が様々な業種の末端でごく当たり前に見られる様になった。就職難のため、大学卒業後に専門学校などの教育機関にさらに通う者も増えた。(1997年3月24日朝日新聞

※一般的に、雇用系列は景気動向に遅行すると言われており、景気の山谷と就職率等の山谷とは必ずしも一致しない。

中途採用

中途採用は新卒よりも悲惨な状況となった。企業が「即戦力」を要求するために、新卒時に正社員へと就職できなかった者の多くがその後も正社員でない仕事に就職したり、就職活動自体を断念したりする者も現れた(→ニート)。離職者についても、十分なスキルを蓄積できなかった者は再就職が困難な状態となった。

人手不足が深刻な企業や団体(農業や福祉業界など)では、特に即戦力としてのスキルを持たない、就職氷河期世代のフリーターやニートの雇用を行っている企業や団体も存在している。
新社会人の就職観の変化 [編集]

ポスト冷戦時代、バブル崩壊社会主義の没落、グローバリズム失われた10年就職氷河期、非正規雇用社会保障からの排除、自爆テロという時代に少年期を送った、不況の日本しか知らないポスト氷河期世代ゆとり世代)は、災難と絶望に塗れた氷河期世代の後姿を見て育ったため、安定志向や大企業志向が強まっており[5]、消費意欲が萎縮している。

そのため、中小企業は幾ら求人を出そうとも新卒が集まらない状況に直面している。2005年放送のNHK日本の、これから」中のスタジオ生討論においても、中小企業経営者らが「町工場は人手が全く足りない」「求人を出している」と語っていた。また、同じ大企業でも人気・不人気業種で新卒の数の確保に差が出ており、テレビ東京の『カンブリア宮殿』では、新卒の確保に苦戦している企業として幸楽苑の例が紹介された。
就職氷河期の再来

2008年春卒業の学生までは、団塊世代の大量退職や景気回復により、まさに売り手市場の就職状況であった。しかし、2007年から現在にかけての、サブプライムローン問題を引き金とする世界的金融危機の影響による株価の暴落、急速な円高や世界各国の景気後退により、ここ数年過去最高利益を出していた企業の業績が急激に悪化した。また、それ以前からの新興国の成長を見込んだマネーゲームによる原油等資源・原料価格の高騰、さらに金融商品取引法建築基準法貸金業法などの改正による特定業種への締め付けも企業にとって足かせとなっている。

企業の急速な業績悪化に伴い、就活時期には売り手市場であった2009年春卒業予定の学生の内定取り消しに踏み切る企業が続出することとなった。一方で、前回の氷河期において企業が長期にわたり採用抑制を行った結果、人員構成がいびつとなり、極端な人手不足に陥り、技術の継承に支障を来たす弊害が出た経験もあることなどから、前回ほどの極端な採用抑制には至らず、少なくとも中核となる人間の採用は続けるだろうとする見方もある[6]。また、ここまで内定取り消しが多発した原因に、就職活動の早期化が指摘されている。現に、2009年春に大学を卒業する学生は2007年秋頃から就職活動を始めており、この時点では景気はまだ安定していた。強烈な景気後退が発生したのは、内定が軒並み出そろった2008年秋のことであったので、内定を取り消した企業にしても入社時点での景気の動向の予測を立てるのが困難であるのも事実である。

この結果、平成初期生まれは「第二次氷河期世代」と化している。2009年3月に卒業した高校生で、就職の内定を取り消された者は269人に上った[7]。そして、2009年7月の完全失業率は国全体で5.7%に、有効求人倍率は0.42倍に下がった。その中でも、25歳〜34歳(1975年〜1984年生まれ)の完全失業率は6.1%に、15歳〜24歳(1985年〜1994年生まれ)の完全失業率は9.6%に上った(2009年4月)[8]。2009年9月以降も内定取り消しや就職難が続き「鳩山不況」と呼ばれた[9]。